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出来たのが1967年11月(写真)だ。コンクリートに刻まれる。 [狐崎部落]

100929.jpg


1967年といえば、
小学校1年の頃だろうか。
なので、すでに物心ついたら
このトンネルは出来ていたのだ。

宇野線で来ると茶屋町から彦崎までは
藤戸の「大浜踏切」を越えると、
一本も踏切はない。
次に来る踏切は彦崎駅を越えた
札場の「船入踏切」だ。

当時の周辺の環境が分からないので、
何とも言えないが満を持して
この駅前←→狐崎間のトンネルを作ったのであろう。


稔橋から入ってくる道路の突き当たりがココであるわけだ。
昔はどうみても重要な通りではなかったのか?
児島市への交通の要であった味野駅と呼ばれていた頃には
この辺りは踏切でかなり栄えていたのでないか?
とくにひょうたん陸橋が出来る前は、なおのことでなかっただろうか。
特に稔橋から来た道路は突き当たりになり、かなり不自然だ。
ハブステーションを嫌って茶屋町が手を挙げ、
児島へのアクセスは茶屋町経由へ。

好機を逃した彦崎の不自然な感じが、
このあたりの地理ににじみ出ているのではないか?

当時、狐崎側でかなり大きな火事があった。
この狐崎ではあまりにも火事が多いので、
遠い昔、稲荷神社を祭ったのだ。
稲荷神社が先か?狐が先かは分からないのだが、
とにかく火事が多いのだ。
偶然とはいえ不思議な話である。

このトンネルの手前にある渡辺医院の前は
以前はスーパーマーケットであり、
その以前は高取薬局つながりの長屋でした。
木造の炭板の長屋。
屋根も黒いので真っ黒の長屋だった。
あと対面に三備モータースがあったぐらいか。
高校二年の時に白のヤマハパッソルをかったっけ。

かたや狐崎。
狐崎交差点の馬場山側の
井口食料品店は昔からありましたね。
植松の実家に行くときは必ずのぞいていましたね。
しかし、対面の「永井商店」がわからないのだ。

とにかくこの1967年11月に
トンネルができたということだ。

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コメント 2

吹田市民

狐崎のトンネルが1967年の建築とは。そんなに昔だったのですね。コンクリート、よくもってますね。トンネルの下を自転車でくぐって倉敷方面に通学していました。井口食料品店は女の子が同級生だったような。あの近辺から植松にかけて、同級生が結構住んでいました。帰省した際のチェックポイントが増えました。

by 吹田市民 (2010-10-01 00:20) 

itavoon

そのコンクリート。最近少し補修されてガンダムみたいになっていましたね。そして通りずらいトンネルが更に通りづらい感じになっってしまったようです。またまた、狐崎孤島作戦展開なのでしょうか?これもチェック項目として入れておいてください。
by itavoon (2010-10-03 12:58) 

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